インターネットの中のコンテンツとしての生き方の表現が重要

今後実験してみたことがある。インターネット上だけでほぼ生きる。インターネット上に自分像を出すことで、バーチャルの世界だけで関係構築する。たしかに、SNSが発展したおかげで、その関係構築が人間関係が希薄であるが、構築されていることは事実である。

不特定多数の人との付き合いは、バーチャル世界だけで完了して、バーチャル世界の自分像と、そして、自分の世界の生き方というものを完全に分離する必要があるだろう。

これからの時代、人の世界は、AIによって構成される。AIがひとのような意識を持ち、考え方などを述べるのようになる時代に、人間もまさに、AIのような露出の仕方、表現の仕方が重要だろう。

愛されるためのマーケティングで印象いい自分を主張するより、個性と、自己意識を出すことのほうが、万人受けする世界溶離も、一部の人に認められるコンテンツのほうが重要になる。

もうインターネット上で形成されれいる人の関係にも、個性と意識が存在しているのである。

多くの人がテレビドラマをみて、その主人公の役柄で、その役者の性格を、あーだ、こーだ というものとおなじである。

インターネットの中で露出するということは、作られた個性でいい。

ただ、みんなに愛される人づくりして、いい人ぶっても、コンテンツとしては、面白みがない。

そうなれば、バーチャルな世界で生きるひとは、バーチャルの中の人で完結するものを形成すればいいことになる。

有名なタレントのことをテレビではみたことがあっても、本人にあったことない。でも、そのひとのことをよくしっているような錯覚になる。

それで、その人のコンテンツに興味をもち、お金を出すのである。

だから、役柄、作られているなど、まったく関係ないことに気付く。

今言いたいことは、人の世界は、完全に、インターネットが登場したことで、現実世界と違う、別の意識体、別の世界ができあがっているということができる。

だから、バーチャルな世界は、バーチャルな世界で完結すればいいという考え方である。

幾つかの人物像で生きることができる時代が到来している。すなわち、人生は、いろんな角度から行き方を選択できることになる。